30代の記憶が僕にはあまりない。
この頃の自分を象徴するイメージと言えば、寝床でフラフラになった自らの身体を横たえている姿だ。
頭重に頭痛、強度の眼精疲労、肩首の異常な張りと凝り、両足の異常なダルさ、むず痒さ、胃炎、胃腸の不調、息苦しさ、
身体を起こしていられない倦怠感、手足の冷え、息苦しさ、ブレインフォグ。
何よりも気力や集中力が全く湧かないという症状が僕にとっては深刻だった。
実は当初から病院での診療を何か諦めていた。
病院での対応範囲を既に越えていると何となく自らが思えていたからだ。
原因不明の“奇病”の原因自体にはだんだんに思い当たっていった。
あのスキー事故の後遺症の第ニ波なのだということに。
20代後半を僕はまるで何かを取り戻すかのようにして忙しく働いた。
その実りを享受してアラスカを何度も旅することが出来たのだか、一方でダメージを受けたままの身体には、
その疲労を回復させる機能自体も失なわれていたのかもしれない。
だからなのか、アラスカに渡っても到着当初は、移動の疲れも相まって必ず2~3日は体調不良で動けなくなっていた。
今思えば、その後の前兆が既に始まっていたのだ。
そして、遂に身体の根幹とも言える僕の内臓系が疲弊し切り、完全にダウンした状態に陥ってしまったのだろう。
と、後にその様な推測に至ることは出来たのだか、しかしながら、この状況は深刻過ぎて、最早僕には手のつけようがなくなっていた。
ただただ日々、不毛地帯を延々と歩く心境だった。
体調が悪いということは、何もかもを失なうということに思える。
身体の具合が悪いと、身体を横たえる時間が長くなる、と、同時に時間がなくなり、働けなくなる為に収入もなくなる。
そして、身体の治療費としてお金だけが流れ出していくので、いつしか借金さえも受け入れざるを得なくなる。
そして、未来への不安が募り希望が持てなくなると自らの自信と勇気がなくなり、
自分という存在そのものの価値が失なわれていくのだと、そういう連鎖へと繋がって行くように感じる。
少なくとも僕自身はそういう経緯を辿っていったのだった。
僕の人生はいつの間にか、既に絵を描くどころではなくなってしまっていた。