“21歳の自分”をやっとの思いで脱し、
しかしながら、つまずき、転び、2度3度と職を変えた後、僕は環境調査員として働き始めていた。
主に環境アセスメントでの鳥類調査などを請け負っては日々の糧を得ていた。
自分も既に20代の後半、生活も安定し始め、頑張ればアラスカを旅する資金さえも出来始めていた。
しかしながら、
絵が描けない日々が続いていた。
得意であったはずの絵が全く描けない。スランプに陥っていた。
しかしながら、実はスランプというよりも、
その時の僕には描く為の知識と技量が圧倒的に不足していたということだったのだと思う。
その事には随分後になってから気がついたのだが。
これが自己流でやってきた故の試練なのだろう。
一つひとつ、画材、技法、描写の基礎を分解して理解し直す、そんな思考作業の繰り返しを行いながら、
絵の基礎を改めて学ぶ時間を過ごしていた。
自分なりの結果が出るまでには十年ほどの時間を要したと思う。
そして、“絵”にある一定の成果が現れ始めた頃、今度は僕の身体が悲鳴を上げ始めていたのだった。
それは、“つかの間の季節”が終わり、長く厳しい冬が始まる予兆だった。