21歳の頃 2 〜自分について⑤〜

「一生というのは短いし、一回しかない。自分が出会ったこと、やりたいなと思ったことは絶対大事にして、

それをもっと好きになっていかなくてはいけない。さらにその気持ちを、時間をかけて育てていかなければならないと思う」

 

21歳の年の暮れ、

クリスマスムードで賑わう街角にただ一人、まるで場違いのような僕が書店に入ると、

たまたま手に取った自然雑誌の中にその言葉はあった。

 

写真家星野道夫さん。

雑誌創刊の特集に合わせたインタビュー記事の中に、その一文は輝くかのようにして僕に語り掛けてきた。

 

当時の僕の懐にはその雑誌を買う余裕はなかったが、何か心に明かりが灯ったかのように家路についたことを覚えている。

その言葉はその時の自分にどれだけの力を与えてくれただろう。

いや、もしも、この言葉に出会っていなければ、僕は何もかもを諦めていたかもしれない、とさえ思う。

 

今、考えてみても実に不思議なのだ。

なぜあのタイミングで雑誌があり、言葉があり、そこに僕がいたのか、が。

人生の妙を感じる瞬間とはこういうことだろうか。

 

星野さんには、僕が19歳の時に一度講演会でお会いしていた。

その日、僕としては大胆にも演台の真ん前の席に座り、

スライドショーを行いながらアラスカについてを語る星野さんの一言一句を逃さないよう、ただただ集中していた。

そんな僕に気がついて、星野さんも僕に向かって話し掛けてくれているかのような、とても思い出深い時間を過ごした記憶がある。

 

サイン会で話し掛ける勇気さえ持てなかった僕に、星野さんは真っ直ぐな目で“何か”の言葉をくれたように思う。

木村伊兵衛賞を受賞したばかりの気鋭の写真家の横顔は、優しく穏やかで暖かい“普通”の人物像だった。

当時の僕にとってはそれが何よりの驚きと新鮮な発見であり、

つまりは、あのごく“普通”に見える人物が広大で過酷な自然を相手に、あれ程の仕事と冒険を繰り返していたことが何か嬉しく、

一つの希望のようにさえも感じていたのだっだ。

 

僕のような単純人間にはそれだけの出会いで十分だった。

たぶん僕はその後、星野道夫という人物を“北極星”のような目標として、歩き出す方向を探し始めていたのだと思う。

だからこそ、自らの窮地で再び“出逢う”ことが出来たのかもしれない。

 

 

また、雑誌と同時期に刊行された『イニュニック』というエッセイ集の中にはこんな言葉も載せられていた。

「風の感触は、なぜか、移ろいゆく人の一生の不確かさをほのめかす。

思いわずらうな、心のまま進め、と耳もとでささやくかのように…。」

 

“思いわずらうな、心のまま進め”

 

あの時、燃え尽きる寸前の僕が灰にならなかったのは、星野さんの仕事が存在したからだと今でも思う。

 

そう、僕の中に1つの仕事の方向性が芽生えた瞬間だったように思っている。