青春の思い出 〜自分について②〜

高校の授業が終わると、いつも誰よりも早い帰り支度をして学校を出た。

向かう先は町外れを流れる尻別川。

当時ヤマセミの撮影にのめり込んでいた僕は、休日はもちろんのこと、

始業前と放課後にさえ自転車で1時間ほどの距離を通い詰めていた。

 

羊蹄山の裾野を縁取るようにして流れる尻別川はこの地域の主要河川で、

当時はイトウ釣りのポイントが各所に知られた、アウトドア好きには知名度ある川だった。

 

ヤマセミは大型のカワセミ科の野鳥で大変警戒心が強く、

ブラインドと呼ばれる観察用テントを設置して撮影を行うことが多い。

その当時野鳥撮影はあまり一般的なのもではなく、

ブラインドも自ら塩ビパイプで骨組みを作り、

外側を覆う布を母に縫い合わせてもらい自作したものだった。

 

その撮影自体はというと、

いつも徒労に終わることが多かった気がするのだが、

“彼ら”のライフサイクルを追うことはとても興味深い出来事の連続だった。

その経験はその後の様々な野生動物観察に於いて役立ってくれてたように思う。

そして今、何よりも鮮やかに思い出されるのは、

いつも何気なくブラインドから眺めていた朝夕の川の景色そのものかもしれない。

朝露に濡れた草原、立ち昇る川霧、夜明け前から日の出までの静寂に満ちた世界と、

溢れ出すような色彩は今も鮮烈に記憶に刻まれている。

 

自分はなんと恵まれた環境の中で、贅沢な経験をしていたのだろう。

改めてその事に気付かされている。

 

そうした思いの一方で、

実は少し恥ずかしい話だが、もう長い間、自分には青春などなかったのだという思いが消えなかった。

どこかに何かを置き忘れてきたかのような感覚が拭い去れないでいたのかもしれない。

 

確かに、いわゆる青春映画にあるような甘酸っぱくもほろ苦い、

煌めくような時間を味わうことはなかったのかもしれない。

しかしどうだろう、何かに没頭し、夢中で追いかけ、

期待に胸を膨らませていたあの“瞬間”こそが、まさに青春そのものではなかったのか。

今になって、ようやくそうした事に気がつく。

 

あれほどに濃密で輝きに満ちた時間を、

人は一生の中でいったい何度味わうことが出来るだろう。

 

人はつい自らを何かの型に当てはめて、自身で“もがいて”しまうものなのかもしれない。

いつだって自分の想いに忠実でいいのだと、

そんな心境に達するには少々の経験が必要になるのではないだろうか。

 

そして、遠回りに思えた道が本来の道であったと解る時、

自ら歩いた道程を初めて愛おしく感じるのかもしれない。