初夏の頃

日に日に山の緑が濃くなっていると感じていたら、

いつの間にかエゾハルゼミの大合唱が聞こえてくる。

太陽の日差しはもう夏の力強さだ。

 

もう15年程も前の6月下旬、父親とニペソツ山に登った。

ニペソツは東大雪の一角を担う標高2013メートルの秀峰、

父親にとってはかれこれ数十年来の、僕にとってもその影響を受けてだろうか、

いつの間にか共に"憧れ"の山となっていた。

 

層雲峡温泉に前泊し、夜が明ける前に宿を出発、

三国峠を越えて十勝三股からの十六の沢登山口に着いた頃には蒼白い朝靄が麓の森全体を覆っていた。

この辺りの自然に僕はいつも魅了され続けてきた。

中学生の頃に帯広から旧士幌線に乗り換え糠平湖畔までやってきたのを手始めに、

然別湖、十勝三股へは取材と称して何度足を運んだだろう。

 

この日は父親の旧知の大親友を誘い、のんびりとした楽しい山行となった。

二人を見ていると、何か恋人同士や夫婦、或いは野球のバッテリーを見ているかのように息が合っているのが良くわかる。

正に"あうん"の呼吸。全ての"無駄"は排され、それぞれがやり易いようにことの雰囲気が成り立っている。

元来、山に入るといつも純粋な青年のような人間に変わる父親だったが、

青年期の情熱の大半を共に注いだ山仲間同士が、それぞれの人生の後年を再び共有しているかのようで、

しみじみとした感慨深い眺めだった。

それぞれに決して楽な人生の"歩み"ではなかったろう。

 

針広混交林の中に続く瑞々しい雰囲気のトレイルを、ヒグマに用心しながら登っていく。

腰にぶら下げたクマスプレーをお守りのようにして歩く。

コルリやコマドリの涼しげな歌声。やがてそれらがルリビタキやノゴマに変わり始めると僕たちは稜線上を歩いていた。

足元に咲くイワウメやエゾノツガザクラ、チングルマが見事だった。

 

そして、長い稜線歩きの末にたどり着いた山頂は視界ゼロの雲の中だった。

父親の残念そうな様子が今でも忘れられない。

しかしながら、下山中には雲が切れ始め、表大雪から十勝岳連峰へのパノラマが広がった。

そこには父のもう一つの憧れ、トムラウシの堂々たる山容も認められた。

"憧れ"が"憧れ"のままに終わる。

それもまた一つの人生の味わいなのだと、そんなことを思えるようになったのはいつ頃からだったろう。

 

そして下山中、小さなハプニングが起きた。

先頭を歩いていた僕が曖昧な踏み跡を見誤り、登山道を外れてしまったのだった。

そのまま行っても大丈夫と高を括る僕に対して、父は踏み跡が明瞭だった場所まで引き返そうという。

結局父の言う通りに5分も掛からずに元の登山道まで登り返したのだが、

その出来事はその後の僕の人生への、思いの外強力な指針となってくれた。

一瞬の油断と見通しの甘い安易な判断が、全てを狂わせることがある。

道に迷ったならば、迷った場所まで引き返すことが普遍的な鉄則なのだ。

父親はそれを実にハッキリとした形で僕に示してくれた。

彼の長年の経験、そして"その"ことこそが父の人生そのものであり、その通りに自らの人生を歩んだのだ。

 

新型コロナが世間を賑わせる直前に父はこの世を去り、この山行が"山"での最後の思い出となった。

父のことについては、いつかまたゆっくり書いてみたいと思っている。